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謝辞 ~あしたば~

あしたばや障害者支援に関わってくださっている方にご紹介したい文章があります。

令和4年3月31日に行った あしたば退所式 で退所されるご家族からあしたばへの謝辞です。

ご家族がどのような思いで過ごされてきたかが、非常に良く分かり、胸に刺さる文章です。

あしたば30周年にあたり、改めて一人でも多くの方に 知っていただきたいと思い、ブログにアップさせていただきます。

長い文章ですが、読んだ後は読む前とは心持がかわっているのではないでしょうか。

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謝辞    於 2022年3月31日 あしたば

 

このたび「おうちだ」への移行することになりました子どもたちの親を代表してひと言感謝の言葉を申し上げます。

子どもたちは明日に「おうちだ」へ移ります。先日クムレやその他の事業所との契約を終えました。また、家具や生活用品も運び込んで入居の準備が整いました。

 

本日の退所式に臨んでここまでの途のりを振り返るとき、今万感の思いが脳裡をよぎります。

障害者支援施設「あしたば」がこの地に開所したのは1993年でした。今から29年前のこと。この数字29は幸福の福とも読めます。このたびクムレからまさに「福」であるユニット化という大きなプレゼントを戴きました。親たちがこれまでずっと抱いてきた夢である子どもたちの「終の栖」がこのような形で実現したことに対し、言葉で言い尽くせない程の喜びがあります。「うわーやったー!」」

子どもたちは人生の半分以上である29年の歳月をあしたばで過ごし、開所のときの見た目にも子どもの子どもたちは今ではおじさん、おばさんになりました。若かった私たち親は今はじいさん、ばあさんになっています。私などは「寒い朝はからだが痛い」というテレビのコマーシャルの文句そのものの毎日です。

私たち親子が「あしたば」で受けた恩恵は次の7つにまとめることができるように思います、

一つ目は言うまでもない「あしたば」開設です。

子育てにおいて、父親のように職場へ行って息抜きすることは母親にはできず一日中子どもの世話をしなければなりませんでした。思うように子育てができず自責の念にとらわれ、囲から逃げるように心を閉ざしていました。この親の心境を例えれば、「暗く深い水のない井戸に落ちて周りは高く固い壁で囲まれ、上を見上げても小さな空が見えるだけ」あしたばへの入所はこの井戸に一本のはしごが降ろされ、それを登って地面に立ったようなものでした。その時は開放感に小踊りして喜びました。

二つ目は、同じ悩みをかかえる親たちの家族会に入ったことです。これまでは他人との会話で子供のことに話が及ぶと、子供についての前置きが必要でした。この前置きなしに直接本題に入れる気安さからこれまで何人もの友人を得ることができました。

三つ目は法人クムレには、ブレない理念とそれを力強く実現してこられた現理事長財前民男氏がいらっしゃることです。家族会において、これまでたびたび自身の理想について話されました。私たちは最初は余りに理想的で絵に描いた餅になるのではという懸念がありました。しかし実際にはあしたばをスタートとしてグループホーム、「コトノハ」「わきあいあい」今回のユニット化等々次々と実現化されました。常にアンテナを張り新たな情報を受け取り理想とする理念に取り入れて新しい理想をつくり続けていくそのぶれない情熱と姿勢は私たちに確かな指針を示し、勇気を与えてくださいました。

四つ目は、福祉に関する数々の情報をあしたばから知ることができたことです。最近ではケアコラボという通信アプリによりあしたばでの子どもたちの様子が写真やビデオで見ることができます。また、スヌーズレンという言葉もあしたばから初めて知りました。これに関しスエーデンから河本氏を招いて他の事業所と同様に数々の用具があしたばに設置されました。日々子どもたちが利用して楽しんでいるようです。

五つ目は高度な福祉の専門教育を修了した優秀な人材があしたばの支援者として採用されたことです。これらの支援者たちによって子どもたちの自立に向けたさまざまな取組みがなされてきました。長期に渡る指導にもと子どもたちはそれぞれの形で次第々に地域に順応していく能力の向上を図ってきました。その結果として例えばコンビニなどで自身で買物ができるようになってきました。この活動は「おうちだ」への移行がスムーズにできるための準備であった訳です。

六つ目はあしたばではこれまで毎年沢山の行事、催し物が企画され行われてきました。運動会、夏祭り、一泊小旅行、クリスマス、ひな祭り等々。一部は親の高齢化に伴い縮小あるいは廃止になったものもありますが、とかく退屈になりがちな山の上での生活に楽しい刺激と喜びを与えてくれました。また、それらを通してあしたば職員や支援者と親との関りが深まりました。

七つ目は、あしたばの健康管理が優秀でやさしい看護師の方たちによって注意深く行われてきました。特に虫歯予防には細心万全の注意がなされてきました。

また、あしたばの食事は永らく自前で準備されてきました。子供たちの食べ物の誤嚥の予防から外注された時期には一斉に体重減少が起こる事態となりましたが、再び食事提供は自前となってのは好ましく良かったと思います。

次に、支援者の皆様へのこれまでの感謝に対し反省を少しお話します。これまで私たち親に替わって子どもたちのお世話と教育をして下さり誠にありがとうございました。これまでいろいろな場面で苦労されているのを目撃しています。個々の例は差し控えますが、一般論として話します。私たちは支援者の方にどのように感謝しているかと自問してみるとき、支援者の方々に一方的に要求することが多くはなかっただろうか?また、自分が支援者の立場に立ったならどのように言い方は変わっただろうか?感謝すべき場合できちんと言葉でお礼を伝えてきただろうか?人間誰しも感謝されればそのことで仕事にやりがいが生まれます。重度の障害者の世話をするには大変なエネルギーと忍耐力が必要でストレスはとても大きいと思います。感謝を忘れず、きちんと口に出して伝えることでお互いがより信頼できる良い関係を築いていくことが重要です。そうすれば支援者と子どもたちとの関係もよりよくなると信じます。私たち親はおうちだに移行するこの機会に心機一転して支援者と私たちがより良い関係を築いていくことをここに誓います。

現在すべてがよりよい方向に進んでいます。「おうちだ」への引っ越しを明日に控え、私たちは子どもたちをこれまで以上にサポートして行きたいと意気込んでいるところです。

私の挨拶が長いものになってしまいましたが、もし許して下さるならば最後に、あしたばでの生活の一場面をエピソードとして紹介したいと思います。知的障害者が心を開く瞬間はどのようなものか、また親の替りの支援者は親とどこが違うのかについて考えさせられると思います。

 

「あしたば」の生活や体験をコメント付きの写真としてA4用紙にプリントしたものを家族が受取っていた時期がかつてありました。その中の一枚のプリントが今回のスピーチで過去の資料を見ている時に見つけたものです。それには山の遙か遠方の平野の風景をただずんで眺めている我が子の後ろ姿がありました。子どもはその方向にしばしば好きな新幹線が走るのを見ているのを知っていました。

以下原文のまま紹介します。

『毎日お風呂に入ってから夕食までの時間はあしたばの中庭に出て風景を眺めながら過ごしておられます。この時に崇広さんに何をしているのかと尋ねると「お母さん」と答えてくれます。考え深げに風景を眺めているので、崇広さんもいろいろ考えているんだなぁと思います。ちなみにこの写真はあしたばの2階から隠れて撮りました。』

これには平成26年の書き込みがありますから、私は当時これを確かに目にしていたはずです。しかし今回これを読んだ時は思わず胸が熱くなり涙が止まりませんでした。子どもは電車を見るのが好きで電車が通るのを待っているのだと思っていました。それで何をしているのかと尋ねることはなかったように記憶しています。支援者の方は何の思い込みもなしに何をしているのかを尋ねられたのだと思います。それでいつもならオーム返しのわが子はその時にはオーム返しではなく「お母さん」と答えたのでした。思い込みなしのまっさらな気持ちで支援者の方の問いかけがあったからこそ、その瞬間に固く閉ざされていた心の扉を開いたのではないでしょうか。支援者の方がこの言葉を引き出してくださったのです。私はそのようなことを考えるているとは夢にも思いませんでした。これからは子どもに対し思い込みを戒め素直な気持ちで接していきたいと思っています。

 

長いスピーチを最後まで聞いていただきありがとうございました。クムレ、あしたばの皆さんそしてこの地区の皆さま、これまで永い間お世話になりありがとうございました。そして、今後とも支援のほどよろしくお願いいたします。

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