ブックタイトルクムレ60年の歩み 概要版

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概要

クムレ60年の歩み 概要版

ともに育ちともに生きる地域とともに歩むクムレの歴史平成27年、「社会福祉法人クムレ」は創立60周年を迎えます。この節目に、設立以前から現代までの歴史を編纂した60周年史『クムレ60年の歩み』を刊行しました。創立に携わった方々や保育、発達支援、自立支援の先輩方に当時の様子や思いをインタビューし、創立のきっかけや先駆的な取り組みなど、後世に伝えたいクムレの“歩み”をまとめています。この60周年史の内容をより多くの方々に知ってもらいたいと思い、本史を簡潔に分かりやすくまとめた「概要版」を制作しました。これからクムレに出会う方、地域の方々などたくさんの人に読んでいただき、クムレに触れるきっかけにしていただければと思います。水島の地に根ざした保育昭和20年代?昭和50年代前半?小ざくら保育園誕生「社会福祉法人クムレ」の前身となる「社会福祉法人光明会」の歴史は、創設者・浅田弘義氏と障がいのある子どもを抱えた母親との出会いから始まった。姉は脳性マヒがあり自由に動くことができず、妹はまだ幼く栄養失調気味だった。子どもたちを置いて仕事に行くことなどできない母親は、弘義氏にその窮状を泣きながら話した。心を動かされた弘義氏は、自らの使命を感じ、ここから保育園設立へ動いていく。地元の名士や水島の住民たちの支援と、「般若寺」の多くの檀家の協力のもと、保育園の建設費を集めることができ、昭和30年4月に「小ざくら保育園」を開園。昭和31年には「社会福祉法人光明会」の設立が認可された。?人情厚い時代の保育?昭和30年代?開園当初から障がい児を受け入れ、生後6カ月から5歳児まで4クラス、合わせて100名の集団で手探りながらスタートを切った。乳児室には別院の仏間が使われ、日当たりの良い縁側が遊び場にあてられた。保育材料や用具も十分ではない中、御下賜金でプールを設けたり、弘義氏が手作りでキリンを設置したりした。食糧事情も悪く、園児に注は持参の主食以外にララ物資)の脱脂粉乳が配給された。経済的に苦しい家庭には主食のほかに出来る限りの食事を用意したり、乳児の健全な発達のためになんとか栄養を補おうと、煮干しを粉にしてふりかけを作ったりした。保護者の生活も決して楽な時代ではなかったが、保護者と保母の連帯感や助け合いなど人情厚い時代の保育だった。注)ララ物資「アジア救援公認団体」(Licensed Agencies forRelief in Asia:略称LARA〈ララ〉)が提供していた日本向けの援助物資のこと。昭和21年1月より昭和27年6月まで、米粉、小麦粉、うどん、米、乾燥スープ、粉全乳、脱脂粉乳、缶詰、ビタミン剤などの食料のほか、古着、石けん、薬品、医療器具など、約1万6,700トンの援助物資が送られた。開園当時の「小ざくら保育園」園舎、般若寺別院(自宅)2