ブックタイトルクムレ60年の歩み

ページ
35/60

このページは クムレ60年の歩み の電子ブックに掲載されている35ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

クムレ60年の歩み

第2章養護と教育の一体化を目指した新しい保育の幕開けは重い知的障がいを抱えながらも施設に入ることができず、在宅生活を余儀なくされる人も多かった。日中活動も十分なされず、ひきこもりのような生活をすることで自立訓練や社会適応が遅れ、一方家族は24時間付きっきりで介護し、負担は大きかった。「倉敷学園」に通園していた知的障がい児たちのうち、特に重度の障がい児については、養護学校卒業後の行き場がなかった。そこで「光明会」は、「小ざくら園」「倉敷学園」の保護者や父母の会と一緒になって「ひまわりの園」を立ち上げ、「倉敷学園」卒園者や成人知的障がい者の就労と生活を支えた。そのような中で、成人知的障がい者への新たな施設建設が検討され始めた。とりわけ、「倉敷学園」の利用者は重度の知的障がい児が多く、そのニーズは切実だった。当初、「光明会」は、知的障がい者および重度・重複障がい者のための身体障害者療護施設を計画していたが、一施設で二種類の障がい者支援を展開することに対して県の認可が下りず、最終的に単独更生施設としての建設が進められた。そして平成5(1993)年、精神薄弱者福祉法に基づく「精神薄弱者更正施設あしたば」が開所した。「倉敷学園」の卒園者をはじめ津山市や笠岡市など遠方からも利用者が集まり、15歳以上40歳代までの幅広い年齢の利用者を受け入れスタートを切った。昭和50年代後半?平成10年代「地域移行」の足がかりとしてあしたばでの作業活動。水耕栽培によるミツバの出荷風景「あしたば」では、知的障がい者ができるだけ地域で生活していけるように、自立に向けた「施設の社会化」に重点を置き、就労が可能な利用者は障がいの程度に応じて、ミツバやサラダ菜の水耕栽培を行ったり、箸入れ、キッチンタオルの袋詰めなど軽作業に励んだ。そのほか日中活動として、音楽・アートなどの表現活動に取り組んだり、散策、レクリエーションなど、利用者一人ひとりの興味・関心や得意分野に配慮しながら、それぞれがもつ力を今以上に発揮できるさまざまなプログラムを準備しクムレ60年の歩み33