ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

認可第一号になった当時、弱冠24歳の三宅京子(現・伊丹京子)が園長に就任した。当時30歳以下の園長は岡山県の内規では認められていなかったが、浅田理事長が県に掛け合い特例措置がなされた。昭和63(1988)年に瀬戸大橋が開通して以降は、延長保育と夜間保育を先駆けて行っていたこともあり、認可第一号になった当時は観光を兼ねて全国から保育関係者の見学が相次いだ。また、NHKのテレビ番組「お母さんの勉強室」でも取り上げられ、乳児期から就学前までの発達段階に合わせた献立や小ざくら保育園での一日の食事の様子が放映され話題を呼んだ。“よりよい環境の中でのよりよい保育”、そして“0歳からの可能性への挑戦”を掲げ意欲的な保育園として発展した。子どもたち一人ひとりが愛情に満たされながら、いきいきと生活できる育児支援の精神は、保育だけでなく、障がい児・者の療育、福祉にも向けられ、その後「社会福祉法人光明会」は社会福祉法人としての使命を果たしていくことになる。精神薄弱者更正施設「あしたば」開園昭和から平成にかけて、新たな福祉課題として15歳以上の重度知的障がい者の受け入れ施設の不足が顕在化し始めた。当時倉敷市には、昭和58(1983)年に開設された更生施設のほかに、通所型と入所型の授産施設があったが、措置制度の時代においては、いったん施設に入所すると、そのまま長期化する傾向があった。そのため地域に平成5(1993)年に開所した精神薄弱者更正施設「あしたば」32