ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

昭和56年?平成4年頃の小ざくら乳児保育園「小ざくら乳児保育園」は、昭和49(1974)年より産休明けの43日目からの0歳児と1歳児を対象とした専門的な乳児保育に取り組んでいたこともあり、0歳児の可能性や潜在能力に早くから着目していた。スキンシップや語りかけを通じて、赤ちゃんの「心」を育てる保育を実践する中で、河添邦俊氏が著した『子育ての道赤ちゃん体操で、心身の発達を刺激すじ』に共鳴、これまでの保育に対する確信を得たと同時に、この頃よりさらに医学的、科学的裏付けのある保育への挑戦意欲を高めていった。赤ちゃんへのより良い刺激として、0歳児からクラシックの名曲に親しませ、マッサージや赤ちゃん体操による肌への刺激、脳の発達を促す指先遊び、手足の協調性を養うハイハイ運動や階段のぼり、鉄棒のぶらさがりなどの運動を日常的に取り入れた。1歳前後からは漢字カードなども用い、視覚、聴覚、触覚など五感を刺激する遊びを行った。食事については、月齢によって細かく献立を工夫し、なるべく素材の特性を生かしたものを中心に提供することで栄養面にも気を配った。常に浅田弘義理事長自らが現場を観察しながら、必要と感じたものは制度の枠を超えて、改善・実行に移していくことも多かった。“時代のニーズに呼応した特色のある保育”への転換昭和49年以降続いていた出生率の低下の影響は、昭和50年代半ば頃より保育所にも波及し始めた。昭和55(1980)年をピークに、入所措置児童数は全国的に減少に転じ、倉敷市内でも50年代後半には申請数が定数を下回る保育園もみられた。社会全体が豊かになる中で、働く母親の育児サポートを主眼においた保育から、教育にも力を入れた保育が求められ、保育所もこれまでの量の確保から質の充実へと転換期を迎えた。当園では、移転当時より来るべき10年後の少子化をにらみ、対応への検討が始まっていた。「将来出生率が低くなっても、小ざくらはいつも定員いっぱいの魅力あふれる園でないといけない」と口癖のように話していた浅田理事長の方針のもと、昭和57(1982)年に時代のニーズに呼応した24