ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

第1章水島の地に根ざした保育また、専門職を単に訓練のみの実践場面だけでなく療育場面にも参加させ、クラス単位の指導にも力点を置いた。クラスとしての集団と個別化、この二つの取り組みも特筆すべきポイントであった。さらに「倉敷学園」の卒園後「障がい児が成長し社会人になってからも最後まで関わりをもち続ける」という基本姿勢のもと、昭和54(1979)年には水島瑞穂町に「小ざくら保育園」の職員寮を一部借用して「精神薄弱者通所援護事業ひまわりの園」を設立した。利用者が仲良く、楽しく、幸せを感じながら生活できる事を目指し、これまで引き継がれてきた「障がいのある子を思う親」の気持ちを大切にしながら、利用者に対するサービスの提供、生涯にわたる生活サポート体制の充実などに取り組んだ。「ひまわりの園」の実現には「小ざくら園」や「倉敷学園」園児保護者の「わが子を一人の社会人として少しでも世の中の役に立つことができるよう成長させてほしい」という強い思いの後押しがあり、内職や手作り作品のバザーでの収益の寄付など、保護者の勇気ある行動と結束した力は企業や個人など多くの協力者を呼び、力強い支援を受けた。「ひまわりの園」は昭和56(1981)年に「社会福祉法人ひまわりの会」として、保護者が中心に独立した法人となり、就労による自立を目指し、福田町浦田に「精神薄弱者授産施設ひまわりの園」として再スタートした。以降、障がい者の就労支援、生活支援、生きがい、楽しみを支える施設として現在に至る。昭和20年代?昭和50年代前半橋本龍太郎・衆議院議員(左)が精神薄弱者通所援護事業ひまわりの園を訪れた時の園児とのふれあいの場面(右に浅田弘義氏)クムレ60年の歩み21