ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

第1章水島の地に根ざした保育友愛セールを取り上げた記事(昭和50年)昭和50(1975)年6月には倉敷市心身障害者父母の会による「友愛セール」を「小ざくら保育園」で開催し、障がい児の保護者による手作りの造花や野菜、古着などを販売した。売上は不足しがちだった研修費などの運営費に使われた。昭和52(1977)年11月には地域の在宅の障がい児たちを招いて「小ざくらの集い」を開催した。当時、定員などの問題で「小ざくら園」などの療育施設に通えない障がい児がまだまだ存在した。こうした障がい児たちと健常児たち、そして保護者と地域をつなぎ、障がいのある子どもについて地域の理解を深める大きな意義のある年中行事として定着し、10年間にわたり続くことになった。昭和20年代?昭和50年代前半倉敷学園開園。障がい児自立への大きな歩み昭和50年代初め、障がい児に対する学齢児全員就学の定着が不十分で、「小ざくら園」の子どもたちは、就学年齢に達し卒園しても小学校での義務教育を受けることができないという、いわゆる「障がい児に対する就学猶予・就学免除」が問題になっていた。障がいのある子どもたちが、生きる力を身につけ自立してほしいというのは保護者も職員も同じ気持ちであった。保護者の熱心な後押しとともに倉敷市に「小ざくら園」卒園後の学齢児通所療育施設の設置へ向けて岡山県や倉敷市に陳情などを行い、学園設立の認可を働きかけた。こうした努力が実り、学齢児の2クラスを近隣の「旭丘小学校」の特殊派遣学級として設置するということで、昭和53(1978)年4月に「精神薄弱児昭和53年に開園した倉敷学園通園施設倉敷学園」が開園した。クムレ60年の歩み19