ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

設が併設する形となり、「小ざくら保育園」は新たな時代を迎えることになった。養護を重視した保育と障がい児療育の専門化合計440名の大所帯であっても、職員全員が子どもの健全な育ちを支えるという、一つの目的に向かっていくことが不可欠だった。昭和50年代前半のこの時期に重視していたのは養護面の十分な援助だった。乳児保育では特に、親に代わるようなスキンシップを重要視していた。人生を左右する乳幼児期を、産休明けより小学校入学までの長期間保育することの重大さを職員全員で認識し、一貫性を持ち、日常生活での良い習慣・しつけを徹底させ、自主的な生活態度と協調性を養い、強い精神力と体力、思いやりの心を育む保育に努めていった。円通寺へ遠足(昭和50年)夜間保育については、核家族で夜まで飲食店を経営している家庭、ひとり親で変則的な就業をせざるを得ない家庭など、朝から夜間までの保育が必要、あるいは希望する場合があり、こうした当時の水島地域の現実のニーズに合わせるとともに家庭的な温かい保育を心がけた。一方、「小ざくら保育園」開園以来、毎年2、3人は障がい児がいたが、当時の知識と態勢では適切な療育ができていたとはいえなかった。「小ざくら保育園」の創立の動機「障がい児を抱えたひとり親家庭との出会い」を考えると、障がい児の専門的な療育施設の開設は、いわば宿願ともいってよかった。理事の雨宮茂氏より、名古屋で行われていた心身障がい児通園事業を紹介され、倉敷で最初の事業所「小ざくら園」を開園した。開園当初は、療育ではなく保育指導目標となっていた基本的生活習慣について、社会性を養い集団生活へ対応できること、遊びを通じて友達を意識すること、音楽を中心としたリズム遊びや運動遊びなど、独自のバラエティに富んだ活動を取り入れた。また、「旭川療育園」の大浜氏に講師を依頼し、言語訓練や作業療法による機能訓練などの専門療育も盛り込まれた。このような保育の実践と、同一敷地に設置された保育園・乳児保育園・夜間保育園・小ざくら園の運営、そして、その自由でさまざまなアイデアを詰め込んだデザインの新園舎などが評判を呼び、近隣の市町村からだけでなく全国からも保育関係者など見学者が多く来園したという。18