ブックタイトルクムレ60年の歩み

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概要

クムレ60年の歩み

第1章水島の地に根ざした保育昭和46(1971)年には幼児165名乳児35名の計200名に定員を増やし、それに伴いプレハブ園舎を増築した。定員増で手狭になった保育園での窮地の策だった。プレハブの環境は決して良くない。夏はすぐ暑くなり冬はいつまでも寒い。特に夏場の暑さをしのぐため、屋根にスプリンクラーを置き、日中はずっと散水していたという逸話も残っている。昭和49(1974)年には夜間保育園のニーズが高まり、倉敷市の受託事業として「小ざくら夜間保育園」(定員20名)を開園し、それに応えた。園舎を移転・新築。定員440名の大所帯に昭和40年代後半より50年代にかけては、かつてないほど水島の街は賑わい、商店街も立派になり活気に満ちていた。水島地域の人口は9万人を超え、保育園の需要増、そしてそれ以上に「小ざくら保育園」への入園希望者の増加から、さらに定員を増やさざるを得ない状況となった。昭和50(1975)年当時、倉敷市の保育園数は公立が40園、私立が26園の計66園になり、収容できる定員も合計で7800名に上り、前年よりも園数で4園、収容定員で約500名増えた。それだけ第二次ベビーブームにより新築された小ざくら保育園園舎(昭和50年)乳幼児人口が増えていたわけだが、旧園地ではこれ以上増築などの対応ができなくなっていたため、園舎の移転、新築の話が持ち上がったのだった。ちょうど水島北幸町に国有地があり、岡山県と倉敷市の指導のもと、この国有地の無償貸与を受けることができた。旧園地は中国銀行に売却することになり、工事費の目処もついた。そこで昭和49(1974)年6月に新園舎建築工事に着工。東京のシヴィックデザイン研究所による設計で総工費3億1000万円(現在の物価に換算すると約5億4300万円)をかけ、翌50(1975)年3月に竣工した。4月には「小ざくら保育園」は定員を100名増やし、幼児240名乳児60名計300名定員の大規模保育園として新たな一歩を踏み出した。さらに、0・1歳児を対象とした「小ざくら乳児保育園」を独立させ、定員90名で開園。また前年から市の委託事業として行なっていた「小ざくら夜間保育園」も移転・併設(定員30名に変更)。同時に、就学前の障がい児母子通園施設として「小ざくら園」も定員20名で開園し、一つの敷地内に4つの施昭和20年代?昭和50年代前半クムレ60年の歩み17